2019-05-29 第198回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号
事故の後の一一年四月、隣接する川俣町山木屋地区や飯舘村が計画的避難区域に指定されました。政府が避難指示の範囲を拡大しつつあり、その情報は錯綜し、小綱木も指定されるかもしれないという情報が飛び交っていました。浄水場の水から放射性物質が検出され、原乳や野菜の出荷制限もされました。
事故の後の一一年四月、隣接する川俣町山木屋地区や飯舘村が計画的避難区域に指定されました。政府が避難指示の範囲を拡大しつつあり、その情報は錯綜し、小綱木も指定されるかもしれないという情報が飛び交っていました。浄水場の水から放射性物質が検出され、原乳や野菜の出荷制限もされました。
新聞報道によれば、この四町村の居住率は、二月末から三月一日時点で、浪江町三・五%、富岡町四・九%、川俣町山木屋地区三一・一%、飯舘村一一%となっています。 大臣は所信で、帰還困難区域を除くほぼ全ての地域で避難指示が解除され、周辺住民の方々の帰還が進んでいますと述べましたけれども、帰還が進んでいるとは言えない実態です。改めて、避難指示解除の三つの要件について確認をします。
ちょうど三月の三十一日に、川俣町の山木屋地区の避難指示が解除されました。避難をされている方々が、これからふるさとに戻るのかどうかということを含めて、悩み苦しんでいる人たちもいるかもしれないということであります。
(拍手) 三十一日と四月一日で、浪江町、飯舘村、富岡町の一部と川俣町山木屋地区の避難が解除されました。残るは、福島第一原発の立地町である双葉、大熊両町と近隣五市町村の帰還困難区域で、避難区域の面積は三分の一、県土の二・七%に縮小されました。最大で十六万人、先月まで約七万九千人が避難生活を続けてきましたが、今回解除された四町村でも、帰還は一割未満にすぎません。
それ以外の居住制限区域や避難指示解除準備区域につきましては、政府としてもこの春までに避難指示を解除したいということでありますが、今、浪江町や富岡町についても協議が進められているということで、網目になっているところは、飯舘村はこの三月三十一日に解除、そしてまた川俣町の山木屋地区は三月三十一日に解除ということはもう既に決定をしているところでもあります。
実際に、今全村避難を強いられている飯舘村やあるいは川俣町の山木屋地区もそうです。 やはり、TPPによってこういう地域に光を当てるんだと、TPPの恩恵を被災地に届けるんだという総理からのメッセージを被災地に向けて一言お願いしたいと思います。
山木屋地区の自治会からも解除後の生活環境が不安だから解除目標を延期するべきだという声が上がって、延期せざるを得なくなったということもあります。
○岩渕友君 今、現地から要望があったという話もありましたけれども、この山木屋地区の避難指示の解除をめぐっては、当初は八月に解除をするという話も出ていました。けれども、それが延期をされることになりました。この延期がされたのはなぜですか。
○金子(恵)分科員 川俣町にはまだおいでになったことはないというふうに思うんですが、川俣町の山木屋地区の皆さんは、もちろん避難を余儀なくされた状況で、今もなお仮設住宅でお暮らしでいらっしゃるということは御存じのとおりであります。 この川俣町の議会が全会一致で採択いたしました意見書が、内閣総理大臣安倍晋三様そして環境大臣丸川珠代様ということで提出されています。これはお読みになったことはありますか。
昨年八月からことしの一月までの間に行われたほかの自治体の意向調査もやはり回収率は悪く、富岡町は五一・二%、浪江町は五九・五%、双葉町が五一・六%、田村市都路地区五六・六%、楢葉町五五・六%、川俣町山木屋地区五七・四%、川内村四四・六%、飯舘村四七・五%と、いずれも五割以上あるいは四割以上の方々が回答していません。
ちょうど地元で、山木屋地区の復興拠点整備に係る説明会があって、そのときに、今皆さんにお配りしている資料のめくった二ページ目に、ちょうど復興拠点の整備推進についてという二番の(1)にこの山木屋地区のことが書いてあり、そして(2)に施設の配置についてということで、補助金の活用が、一体的にやるのは困難であるとの国等の見解から、方針を変更して、整備可能な施設から早期に着手することで省庁ごとの補助金がうまく活用
○田中政府特別補佐人 事故当初は、二十キロ圏は避難区域というような、そういう決め方をしましたけれども、先日、最終的に、川俣町の山木屋地区で最後になりましたけれども、三つの、今までやってきたやり方で、空間線量に基づく区域の見直しというのが図られました。それによって、二十ミリシーベルト以下のところは、今後、帰還できる町の状況を踏まえて、順次帰還をしていただくということになっております。
昨年、ちょうど今ごろ、ワシントンの桜の百周年で、私も行って物産展をやってきたときに、福島県の川俣町の山木屋地区の、これは強制的に避難をしなきゃいけない地域ですけれども、中学生が招かれたんですね。それは招かれて観光したんじゃなくて、その桜祭りで、地元に太鼓がありますから、その太鼓をステージでやって、あとケネディ・ホールでやったわけですよ。
そこに、福島県の今警戒区域になっている川俣の山木屋地区の山木屋太鼓もパフォーマンスをしに行く。また、沖縄のエイサー、これも福島県のいわきの袋中上人が沖縄に行ってそこから広まった踊りでありますけれども、これもワシントンに行って披露するということもありますが。
川俣町の山木屋地区を、避難指示解除準備区域と、そして居住制限区域の二つに再編される方向で今検討されているというふうにも聞いておりますけれども、この川俣町は、山木屋地区がまず計画的避難区域に指定され、千二百人の住民が避難生活を余儀なくされているほか、飯舘村を始め、ほか市町村の避難者、約千人の避難者の方々を受け入れているというようなことでございます。
私、毎日、国会が終わってから地元に帰っているんですが、昨日は川俣町、ここは山木屋地区の方が避難されています。その前は伊達の富成地区、ここで住民説明会が開かれました。そして、その前の日は福島市の渡利地区、行きましたけれども、皆さん、住民が本当に放射線のことについて不安で、心配でいると。私の顔を見ると泣いてしまうんです。
この基金を活用して県民健康管理調査を実施中ということでございまして、基本調査については、浪江町、飯舘村、川俣町の山木屋地区を対象に六月二十七日から先行調査を実施をいたしております。 その結果を踏まえて、八月二十六日からそれ以外の地域の福島県民の皆さんに対して質問票の送付を開始し、順次回答がなされている状況でございます。
私どもの町は四月二十二日に、計画的避難区域ということで、町の一部、山木屋地区が指定された町であります。 三月十一日午後二時四十六分のあの地震によりまして、川俣町は、津波等はございませんが、町内の損壊したところ、建物が三百四十八件、道路等が百一カ所でございました。
いわゆる避難に当たっても、具体的に申し上げますと、川俣町山木屋地区は線量の高いところと低いところがあるんです。二十ミリに満たないところもあるわけです。ですから、私は、一部農業をやっていいんじゃないかということを最後まで申し上げてきました。
六月下旬からは先行的に、浪江町、飯舘村、川俣町山木屋地区等において調査を開始していると承知をしております。あわせて、これらの地域住民の方々を対象に、放射線医学総合研究所に依頼をいたしまして、六月下旬からホール・ボディー・カウンターや尿によるバイオアッセー法などにより内部被曝線量評価のための基礎調査を実施をしているところであります。
なお、福島県においては、子供を含めて、被災住民への県民健康管理調査というのをする予定でございまして、既に先月の二十七日から、線量の高い浪江町あるいは飯舘村、川俣町の山木屋地区の一部住民を対象に、尿、そしてホール・ボディー・カウンターなどの内部被曝の評価をやっております。また、被災住民約二千八百名に対する内部被曝調査も近々開始されるものだと思っています。
実は、私のふるさと福島県の計画的避難区域になっております飯舘村、そしてまた川俣町の山木屋地区では十五日から避難が始まりました。早くふるさとに戻りたい、そういう思いを持ちながらも、涙ながらにふるさとを離れた皆様方がいらっしゃいます。そして、これからの避難生活が大変長くなっていくということが見込まれます。でも、それがいつまでなのか分からない。